【連載】 若者~ロスジェネ世代の労働と社会の責任(1)
就職氷河期世代=「ロストジェネレーション」や「ひきこもり」が再注目されている。政治による救済対象としてや、殺傷事件との関連などで報道されがちだ。しかし、個々の人生を知り、労働環境悪化の責任を問うなど、当事者が使い捨てや差別から解放される道を創ることが重要だ。
そうした目的から、20~40代の若者=ロスジェネ世代の生の声を連載する。第一回目は、東京で働いていた森宮純さんが、労働市場の流動化が働き手にもたらした苦境を綴った。 (編集部)
私は団塊ジュニア世代から少し後のロスジェネ世代に属している。失業率が1%上下するだけで、企業の採用モチベーションが違うことを実感してきた。振り返ると、正社員や契約社員、アルバイトといった雇用形態、個人事業主、無職と、さまざまな立場を経験してきた。
半生の大半を過ごしてきた東京は、多様な人が集まるといわれているが、職場や学校では所属する集団の同質性が高く、窮屈に感じた。個性は強くても、似たような経歴や階層によってセグメントが形成されるのだ。
新卒後に正社員として働いた出版社の営業職では、法人顧客に勧めるべき売れ筋商品を先輩から教えてもらえなかった。競争やノルマが厳しいため、重要なことも教えてもらえない。この新規開拓営業を主眼とした会社では、ボーッとした私のような若者が成功を掴むことは難しく、3年ほどで転職してしまった。
また、ロスジェネ世代の採用を手控えた影響か、私より7~8年上に社員がおらず、新入社員を教育した経験が乏しい企業があった。そこは旧来的な建設業界を顧客としていた。部署内の雰囲気は封建的で、ボス的な上司を中心に業務が回っていた。ここではわずか半年で、対人関係の些末な揉め事に疲弊して退職した。
日本企業は、丸山眞男が言ったような「抑圧の下方移譲」に満ちている。身分が契約社員やアルバイトだと、さらに大変だ。正社員との間に高い壁があって、卑屈な気持ちになる。「どこか下にみられているんじゃないか」と思ったり、逆に彼らの無教養をあざ笑ったりすることもある。
精神的に不調な時期に非正規で働いた流通の仕事では、怒鳴り合いも多く、バイクのステップを外されたことがあった。
雇用形態で労働者が分断されると、特に非正規の側はメンタルがやられる。貧困と精神疾患の相関は高いが、社会構造の問題を解決することよりも、心理主義的な問題に還元されることが多い。発達障がいや軽度のうつ症状の訴えの多くは、不遇な人々を取り巻く不毛な社会環境が主要因として捉えられていないという問題でもある。
職場では、職務遂行能力に加え、コミュニケーション能力や対人操作に優れた人が、必ずキーマンとして現れる。この「人治」との距離の取り方が、職業生活の明暗を分ける。
満員電車と電磁波で貧血にされる東京 大地に素足をつけるアーシングで回復を
職歴が長い人は、仕事のできや立ち回りが上手い。職場のいざこざは、そういう中でおこる。言い合いになって、嫌われ、それでも我慢して仕事を続ける。仕事自体が好きでなかったり、向いていなかったりすると、どこへ行っても同じことが繰り返される。
しかし、不安定な境遇にあるロスジェネ世代は、基本的に自由だ。凄惨な事件を起こさない節度をもちながら、失業保険の給付期間を考えつつ、職場の中で一定の尊厳を保持していく。労働者として生きていくには、工夫と「力は正義なり」が必要なことを忘れてはならない。
東京は、働く者同士の人間関係が難しい地域で、強固な個人主義がある。一方で「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるような気の短さも、生き続けている。
満員電車も大きな問題だ。車内でスマホを操作することで、膨大な電磁波が発せられる。満員の地下鉄に30分乗るだけで、大量の電磁波でクラクラし、貧血気味になることが多かった。
こういう時は、自然のエネルギーをもらうことが一番だ。「アーシング」は、裸足で地面に立つだけで地球の電子エネルギーを受け取ることができる。裸足で大地につながることで、貧血や疲労感、無気力を改善することができる。身体の気の流れを整え、気力を充実させる手段としてアーシングに注目している。
投薬による治療を主眼とした西洋医学も、困難にあえぐ人を救ってきた面はある。しかし、保険点数を稼ぎたい医療機関や、製薬会社の利潤を追求する姿勢は、再考される必要がある。さまざまな民間療法の知恵が集約されていくことで、既存の医療システムからはじかれてしまうような労働者の心身が回復されることを願う。